ライフビューティーアドバイザー
2019年5月、あるビジネスのセミナーの初日でした。
セミナーに行こうと電車を待ってると突然『よくここまで来たね』と聞こえて来て何故か涙が溢れて泣きながら会場へ。会場で椅子に座ろうとすると、再び『左』という声がはっきりと聞こえたので、左に座ると何か良いことがあるのかなぁ〜と思いつつ最初に座ろうと思った席より一つ左に座りました。
それはまさしく運命の囁きだったのです。
座席によってグループ分けされたからです。セミナー後、同じグループで食事する事になり、メンバーの1人の男性の隣に座ろうとした瞬間
「嬉しい」と第3チャクラの辺りからはっきりと聞こえたのです。それで「えっ?!」とその男性を初めて異性として意識して見てみると、確かにイケメンの類い(笑)私は自分のパートナーが欲しくてずっと【イケメンで誠実】な人を描いてたのです。
そして【私のお世話を焼いてくれる人】というのもオーダーの一つでした。その人は私が洋服に食べ物をこぼしてしまったら初対面にも関わらずおしぼりで拭こうとしてくれました。益々、私が描いていた人だ〜でも彼女や奥様いないかな?!と思った途端、誰も聞いてないのにその男性が
「彼女と別れたばかりなんだよね〜」
と言うではないですか。これはもう絶対、宇宙が私のオーダーで連れてきてくれた人だ!って思いました。それを確かめたかった私は「次回のセミナーに一緒行きませんか?」と誘ったところ、彼はグループのリーダーになったのだけどうまくまとめられなくて悩んでいたので
「相談に乗りますよ」と何度かラインしてたら
「今相談に乗ってもらったら好きになっちゃいそうです」とその彼から送られてきたので、見た瞬間、きた〜〜〜〜(笑)思ったより早い展開でした。「好きになってもらって構いません」と返した私(笑)
ということで出会って2週間で交際スタートとなりました。宇宙がこの人とパートナーシップを学べと言ってるんだなぁと言う感覚でした。
それが還暦婚した今の夫です。
今はありのままで、とっても愛されて幸せな私ですがずっとこうだったわけではありません、と言うよりも随分悩み苦しみました。元夫が浮気三昧だったのです。
(結婚していた頃のことなのでわかりにくくなってしまうので元夫を夫と書きますね)ある日、マンションの下に降りていくと夫が女の人と話していました。その女性に「ご主人と付き合ってます」と突然言われました。びっくりするも「どうするの?!」と夫に聞くとその女性と『別れる』というので信じていたら別れておらず女性が再びやってきて
『あの日のすぐ次の日連絡が来て別れたくない。2人で会える部屋を借りて欲しいって言われました』と再び、爆誕発言。また「どうするの?」と聞くと、夫はその女性に向かって『貴方とは別れる』というとその女性は夫を引っ叩いて去っていきました。
これで終わったかと思っていたらまだ終わっておらず、車ににわざとハイヒールを置いていったりと色々ありました。ある時お風呂に入っていると、ケータイが鳴ったので出ると夫の声がちょっと遠くで聞こえてきて誰かと話してるよう
『もう僕のこと嫌いになっちゃった?!』
とか聞いてました。胸ポケットにケータイを入れて公衆電話で女の人と話してる様で私はお風呂に入りながらそのやり取りをしばらく聞いてました(笑)何故かリダイヤルで私にかかってきたのでしょうか。テレビドラマで見ても嘘っぽいような事が本当にありました。
そして女の人はこの人だけでなく何人もいました。無言電話はしょっちゅうで『今、ご主人をお返ししました』って電話がかかってきたこともありました。でも今離婚したら仕事を頑張らなくてはいけなくなって結婚14年目に39歳で奇跡的にできた愛する息子と一緒にいる時間がなくなってしまう。そう思って息子が中学に上がるまでは我慢しよう。それまでに経済的に自立できる準備をしようとひたすら怒り、悲しみ、哀しみ、に耐える日々でした。
好き同士で結婚したのに何故そんな風になってしまったのか。それは私が男性というものをわかっていなかったから、そしてもうひとつのもっと根本の原因、それは幼児期の母との関係から心をヨロイで覆ってしまい、本当の自分が自分でわからなくなっていたからなのです。
母は少しでも気に入らないことがあると切れてしまい、暴言を吐き暴力をふるう人でした。髪の毛を持って引きづられたり蹴られたり物で殴られたり…
学校から家に帰ると30分の休憩と食事と入浴以外は、全て勉強してなきゃいけませんでした。足音を忍ばせて部屋に突然入ってきて勉強以外のことをしてると殴る蹴るなのです。
勉強時間中に年賀状を書いてた罰として、その年賀状を全て破り捨てられたこともあります。小学校の頃からずっと死にたいと思ってました。そんなふうですから自分の本当の気持ちを出すことなんて出来なくて、親のことが嫌い、そんな自分が嫌い、だから人に心を開示できない、自分に自信が持てないから
いつも頑張ってないとダメ、価値がないと思い無理して頑張るから頭で幸せだよねって思っても、心は満たされない私、愛がわからない私(そんな私といて元夫は幸福感持てなかっただろうなって今ならわかります)
いつ切れ出すかわからない母との緊張の生活から、結婚前から心身のバランスを崩しやすかった私は、母のいる実家には帰れない、夫と一緒にも暮らしたくない。でも既に体調が悪く一人で働くこともできないと、どこにも居場所がなく一人も相談できる人がおらずどんどん更に病んでいきました。
最後は2時間位壁を見て一人で喋るようになってました。壁が話相手です。そして、歩くことも立っていることも辛くなり、家の中を這っているようになりましたが、医者だった夫にも原因は分からずでした。
お手上げ状態だった時1人のヒーラーさんに出会いました。
この方が『うちに来たら治るよ』と言ってくれたので、その言葉にかけて名古屋から東京へ通うようになりました。その方のところで初めて原因がわかりました。人って緊張するとギュッと身体に力が入って硬くなりますよね。
小さい頃から母への恐怖心でそういう状態が続いていた上に、結婚後もその緊張状態が続いた為に、更に身体中の筋肉が強ばってしまったのです。背中は全く丸くならず、首も左右にも倒れず廻すこともほとんどできす、全ての関節が硬くなって伸縮ができなくなり、体が木の棒の様な状態になってしまっていたのです。
筋肉の中を血管が通っているので、血流も悪くなり、内臓も動きが悪くなり様々な事が起きていました。匂いも感じず聴力低下味覚もだんだんおかしくなっていたんです(T . T)
30年前はレントゲンだけで骨の状態は見ても、筋肉の状態というのはまだあまり注目されていない頃でした。そのヒーラーさんは見た目はマッサージなのですが生エネルギーをくれて少しずつ少しずつ治ってきました。
(ヒーラーさんからの影響でこの頃から魂、宇宙について考える様になっていきます)
少し良くなったところで、身体を強くする為にバイトにしたら頑張れると思い、パチンコ屋さんでワゴンに積んだコーヒー、サンドウィッチを売る(ワゴンを押して歩くのが、リハビリに良かった)から始め、段々負荷を上げていき、居酒屋でお運び、ホテルの室内清掃、ガソリンスタンドでバイトなどしていきました。
より良く生きるためにリハビリするというより、リハビリするために生きていると思うくらい努力の日々でした。
何年もかかって健康になってきたなと思った時、私は嫌なお母さんのイメージしかないことについて考えるようになりました。
じゃあ良いお母さんってどんな人?!
わからない知りたい!!
そうでないと子どもが欲しいと思えないし、私が1番向き合うべきところと思いました。そうだ!保育士の資格をとって保育園で働いて子どもやママのことを知っていこうと思い、保育士の資格を取る事にしました。
テストはかなりの数の科目と、ピアノ、絵もありましたが孟勉強して一年で取り、もう30代後半でしたから雇ってくれるところは中々ありませんでしたがやっと見つけ働く事ができ、自分なりの親のイメージを作っていきました。
良い親のイメージができ自信ができてきて、子どもを愛せない、子どもはいらないという思いが手放せたからか、39歳で奇跡の様に息子を授かりました、ずっと病気で苦しむ人もいる中、私は病気が治り子どもまで授かったので、感謝の気持ちでお返ししなくてはとずっと思っていました。
それで息子が中学に入ると同時に、息子がずっと名古屋から東京まで通っていた右脳幼児開発教室を自宅で開校しました。それと同時に自立して離婚しようと夫にお願いして別居してもらいました。
しかしいざ開校すると家庭、講師、経営の三役が大変過ぎて、再び心身を病んできたので本部にお願いして生徒さんをみんなもらって頂き経営から退きました。
生徒さんとお母様には申し訳なかったのですが、無くすことなく何とか、つなぐことはできました。『杉本先生が名古屋に開校して下さったから通える、ありがとうございます』と言って下さるお母様も何人もいらっしゃり本当にありがたいことでした。
でも、お教室を辞めて鏡を見た時、自分の変わり果てた姿を見て愕然としました。浮腫んで疲れた髪の毛もパサパサのおばさんがそこにいました。
それでこんなのは絶対いやだー20才若返る!と決めました。メンタルと美容を怒涛の勢いで勉強し始めました。
そして、同じ様に幸せになりたくて人生にもがきながら苦しんでいる女性に、こんな風にしたら幸せになれますよ、ということを伝えられるようになりたいと思いました。
そして私が出会えたように、世界に1人必ずいるありのままで愛し合えるパートナーさんに巡り合い、生まれてきてよかったって思える幸せを味わって欲しいと思っています。
諦めず求め続ければ幸せになれます!!!
何歳だって関係ありません。どんな苦しい過去も関係ありません。いいえ、苦しんだからこそ絶対幸せになりましょう。
恐れず、自分の望みにまっすぐ手を伸ばして、あなたの望みを叶えてください。
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